今年の1年間は本当にコロナウィルスに巻き込まれた大変な年でした。
歴史の教科書に載るのではないかと言われるほどの大変な出来事だったと思います。
しかし世界は別として日本では統計として昨年より死者の数が少なく、重傷者も報道では色々言われていますが、重傷化するリスクは他の疾患や感染症の方が多いとの見方もあります。
では今までの感染症や疾患とは何が違ったのでしょうか?
これはウィルスそのものではなく、世の中の変化がもたらした情報の速さと多さによる混乱が原因であると思います。
もちろんコロナウィルスは以前にも申しましたが怖い新型のウィルスです。
しかし発見から約1年が過ぎてかなりの事が分かってきました。
それ相応の対策をしていれば、防ぐ事は可能です。
しかしこれだけ情報が錯綜していては何が正しくて何が間違っているのか判断することは極めて難しい問題だと思います。
今回のコロナ禍で何が一番問題だったのか。
これは未知のものに対して普段なら起こるとは思えないものへの恐怖が引き起こす人々の考え方と対処の仕方の混乱が引き起こした結果であると思うのです。
情報の速さと多さ、この利便性が皮肉にも人々の混乱を招き、医療崩壊寸前の事態や経済危機に直面する事となってしまったのではないでしょうか?
これは僕の感覚ですが、情報の速度と量はこの先もどんどん速く多くなっていくであろうと思います。
同時に情報の正確さと物事の本質を見極める能力が必要とされるようになっていくようにも思います。
大学へ進学するにしても、就職するにしてもどこへ行くかか問題ではなく、
そこで何をするのかが問われていく社会に変化していくと思うのです。
例えば日本では英語を中学生から高校、大学へ行く人はその後もずっと勉強していますが、
殆どの日本人は英語を話せるようにはなりません。
これは何故なんでしょうか?
言葉を話すことは勉強ではなく、感情や気持ちのある人々が生活するために必要なものであって、
それが違う国で話される言葉であるにすぎないのに丸暗記ばかりの偏重教育に起因するのではないかと僕は思います。
もちろん英語学習以外でも学校で習う事や大学で学ぶ学問は人生を豊かにしてくれますし、
見聞を広め、人生を切り開く力となってくれると思います。
しかし大事な事はシステムに欠陥があるところでいくら学んでも何も身につきませんし、
自分を更に見失う事となってしまうように思うのです。
音楽もこの事と似ていて、勉強ではなく日々の日常に溶け込み、元気づけてくれたり、
癒やしてくれるもので勉強ではありません。
僕が考える音楽とは自分とは考えの違う個性と個性のぶつかり合いを音楽を通して
お互いを尊重し、主張しながら協調していく力を養うものであると思っています。
音楽と社会、人々の関わりと音楽、この事を来年も更に真剣に考えながら、もちろんコロナ感染には細心の注意をはらいつつ、終息した時に何も気にせず明るく楽しく音楽を楽しめる音楽環境作りとお越し頂く方の理想とする音楽のあり方に寄り添い、来年も精進して参りたいと思います。
来年もMusic Space サヴァサヴァをよろしくお願い致します。
野口 尚宏
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