音楽は、自分で出した音でしか記憶できない。

暖かな光の部屋で、女性が楽譜なしでピアノの鍵盤を一音押さえ、耳を澄ませて音を探す水彩アニメ風イラスト。鍵盤から立ち上る黄金の音の波が耳を通って胸へと流れる循環が描かれ、下部中央に「自分で出した音だけが、自分の音楽になる。」の白いテキスト。

聴いただけの音楽は、なぜ弾けないのか

好きな曲を、何百回も聴いてきた。
メロディも完璧に頭に入っている。
鼻歌でも歌える。

それなのに、
いざピアノの前に座ると、
弾けない。

そんな経験はありませんか?

これは不思議なことではありません。
むしろ、音楽の記憶の仕組みを
正直に表している現象です。

音楽は、
自分で出した音でしか、
本当の意味で記憶していくことができないのです。

「聴く記憶」と「出す記憶」は、別物

音楽の記憶には、
大きく分けて二つの種類があります。

一つは、聴いて覚える記憶。
メロディを認識し、
「この曲を知っている」と感じる記憶です。

もう一つは、
自分の体で音を出して覚える記憶。
指の動き、声の出し方、
タイミングの感覚が
体に刻まれる記憶です。

この二つは、
脳の中でまったく別の仕組みで
処理されています。

聴くだけの記憶は「知っている」を作ります。
出す記憶は「できる」を作ります。

どれだけ聴いても弾けないのは、
「知っている」と「できる」の間に、
大きな川が流れているからです。

科学が示す「自分で出すこと」の力

この現象には、
科学的な裏付けがあります。

認知心理学には
「プロダクション効果(生成効果)」
と呼ばれる研究があります。

黙読した言葉より、
声に出して読んだ言葉の方が
記憶に残りやすい。
受け取るだけの情報より、
自分で生み出した情報の方が
深く定着する。

これは音楽でも同じです。

さらに、演奏には
「運動学習」の仕組みが関わっています。

自分で音を出すとき、
脳の聴覚野だけでなく、
運動野、小脳、体性感覚野が
同時に働きます。

音を聴きながら、
体を動かし、
その結果をまた耳で確認する。
この「出す→聴く→修正する」という循環が
回るたびに、
音楽は複数の回路で
脳に刻まれていきます。

聴くだけでは、
この循環は生まれません。

良い音色も、良いフレーズも、出して確かめたものだけが残る

ここで大切なことがあります。

良い音色、
良いタイミング、
センスの良いフレーズ。

これらはすべて、
自分で出して、
自分の耳で確認したものしか
身についていきません。

名演奏を聴いて
「なんて美しい音だろう」と感動しても、
その音色はまだあなたのものではありません。

自分の指で鍵盤に触れ、
自分の声で歌い、
「今の音は良かった」
「今のは少し違う」と
耳を集中させて確かめる。

その繰り返しの中でだけ、
良い音の感覚が
あなたの中に蓄積されていきます。

音楽は、
徹底的に実践の芸術なのです。

楽譜が、耳の仕事を奪うことがある

ここで、楽譜の話をさせてください。

楽譜を見ながら演奏しているとき、
脳の資源の多くは
視覚情報の処理に使われています。

人間の脳は、
視覚を優先する傾向があります。
目からの情報が入り続けている間、
耳の働きはどうしても後回しになります。

つまり、
楽譜を目で追いながら弾いているとき、
「自分の出した音を耳で確認する」という
一番大切な循環が、
弱くなってしまうのです。

音を出しているのに、
聴けていない。
だから、記憶に残らない。

「楽譜を見ればいつでも弾けるのに、
楽譜を閉じると何も弾けない」
という状態は、
こうして生まれます。

楽譜は「後から」使うと、強力な道具になる

誤解しないでいただきたいのは、
楽譜が悪いということではありません。

大切なのは、使う順番です。

まず、耳で聴いて、
自分の頭の中で音を再現できるようにする。
そして自分の体で音を出して、
耳で確認しながら形にしていく。

そこまで音楽が体に入ってから、
楽譜を開く。

すると楽譜は、
「答え合わせ」と「深掘り」のための
強力な道具に変わります。

「自分が耳で捉えていたハーモニーは、
こういう仕組みだったのか」
「この細かい動きは、
耳だけでは気づけなかった」

頭の中で音が鳴っている人にとって、
楽譜は音楽を裏付けてくれる設計図になります。
音が鳴っていない人にとって、
楽譜は耳の仕事を奪う壁になります。

同じ楽譜が、
使う順番によって
まったく違うものになるのです。

今日からできる、「出して覚える」練習

難しいことではありません。

好きな曲のワンフレーズだけでいいので、
楽譜を見ずに、
耳と記憶だけを頼りに
音を探してみてください。

最初は時間がかかります。
間違えます。
それでいいのです。

「違う、この音じゃない」
「あ、これだ」

その試行錯誤の瞬間にこそ、
耳は全力で働いています。
そして、そうやって見つけた音は、
楽譜から読んだ音の何倍も深く、
あなたの中に残ります。

自分の音で、音楽を積み重ねていきませんか

「楽譜がないと弾けない」
「何年やっても曲が体に残らない」
そう感じている方は、
才能の問題ではありません。

ただ、記憶の仕組みに合った
練習の順番を、
まだ知らないだけです。

とはいえ、
耳と記憶だけを頼りに音を探す練習は、
一人では不安になりやすいものです。
「この方向で合っているのか」を
確かめてくれる伴走者がいると、
この練習は何倍も進みやすくなります。

サヴァサヴァでは、
自分で音を出し、耳で確かめながら
音楽を体に刻んでいくレッスンを
大切にしています。

あなた自身の音で、
一生残る音楽を積み重ねていきましょう。

Music Space サヴァサヴァ
   野口 尚宏

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