音楽は、誰かに届いたときに変わる

暖かな光の部屋で、大人の女性が一台のアップライトピアノを弾き、向かいにいる聴き手が静かにその音を受け取っている水彩アニメ風イラスト。鍵盤から黄金の音の糸がやさしく伸び、聴き手の近くで少し明るくなり、下部中央に「聴いてくれる人がいるから、音は育つ。」という白い文字が入っている。

その音は、誰に届いてほしいのでしょうか

音楽をしていると、
つい自分の中だけで完結してしまうことはないでしょうか。

ちゃんと弾けているか。
音を外していないか。
リズムがずれていないか。
思ったように歌えているか。

そういうことを確かめる時間は、
もちろん大切です。

自分の音を聴き、
自分の身体を整え、
自分の中で納得できる音を探していく。

そこを通らずに、
音楽が深まることは少ないのかもしれません。

でも、ふと立ち止まって考えることがあります。

その音は、
本当は誰に届いてほしいのでしょうか。

自分だけが満足するための音なのか。
それとも、誰かの心に少しでも触れてほしい音なのか。

その問いが生まれたとき、
音楽は少し違う場所へ動き始めるのではないでしょうか。

ひとりで鳴っている音と、誰かに届いた音

ひとりで練習している時間には、
ひとりでしか育たないものがあります。

音を確かめる。
指の動きを覚える。
声の出し方を探る。
リズムを身体の中に入れていく。

そういう孤独な時間は、
音楽にとって大切な点のようなものです。

けれど、その点が誰かに届いたとき、
音楽は少しずつ線になっていきます。

聴いてくれる人がいる。
受け取ってくれる人がいる。
その音に、何かを感じてくれる人がいる。

その瞬間に、
自分の中だけで鳴っていた音が、
少し外の世界へ開いていくことがあります。

同じ一音でも、
誰にも届かないままの音と、
誰かの心に触れた音では、
その意味が少し変わってくるのかもしれません。

聴いてくれる人がいるから、音は育つ

誰かが聴いてくれることで、
初めて気づくことがあります。

自分では弱いと思っていた音が、
誰かにはやさしく届いていた。

自分では何気なく弾いた一音に、
聴いている人が少し反応してくれた。

うまく歌えなかったと思った日にも、
言葉の一部だけは、
誰かの心に残っていた。

そういうことがあると、
自分の音の見え方が少し変わります。

自分では欠点だと思っていたものの中に、
届く力があったのかもしれない。

自分ではまだ未完成だと思っていた音にも、
誰かが受け取れる何かがあったのかもしれない。

そんなふうに感じられたとき、
音は責める対象ではなく、
育てていくものに変わっていきます。

聴いてくれる人がいるから、
音は少しずつ育つのだと思います。

届く音は、強い音とは限らない

誰かに届けようとすると、
つい強く出さなければと思うことがあります。

もっと大きく。
もっとはっきり。
もっと感情を込めて。
もっと印象に残るように。

もちろん、音を前に出す力が必要な場面もあります。

でも、人に届く音は、
必ずしも強い音だけではありません。

小さく置かれた一音。
言葉の終わりに残る余韻。
誰かの音を待ってから入るフレーズ。
強く言い切らずに、そっと差し出された声。

そういう音が、
かえって深く残ることもあります。

届くということは、
押し込むことではないのかもしれません。

相手の心に入る余白を残しながら、
自分の音を置いてみること。

そこに、
自己満足の先にある音楽の入口があるのではないでしょうか。

聴き手がいると、音の選び方が変わる

誰かが聴いていると、
音の選び方は少し変わります。

ただ自分が気持ちよく弾くのではなく、
今この人にどんな音なら届くのかを考える。

ただ正しく歌うのではなく、
この言葉をどんな声で渡せば、
相手の中に残るのかを感じてみる。

それは、相手に合わせて自分を消すことではありません。

むしろ、相手がいることで、
自分の音がよりはっきり見えてくることがあります。

誰に届いてほしいのか。

その人に、
どんな響きとして届いてほしいのか。

その問いがあるだけで、
一音の置き方は変わってきます。

音楽は、
自分を出すだけのものではありません。

誰かに向かって音を置くことで、
自分の中にあるものが、
少しずつ形を持ちはじめることもあるのです。

届かなかった音も、無駄ではない

音を出しても、
思ったように届かないことがあります。

反応がなかった。
伝わったのか分からなかった。
自分だけが空回りしたように感じた。

そんな経験があると、
人に向かって音を出すことが、
少し怖くなることもあるかもしれません。

でも、届かなかったように見える音も、
すぐに無駄だとは言い切れないのだと思います。

その音を出したことで、
自分が何を伝えたかったのかに気づくことがあります。

届かなかったからこそ、
次はもう少し静かに置いてみようと思うことがあります。

あるいは、
その場では何も起きなかったように見えても、
聴いた人の中で、あとから響くこともあるかもしれません。

音楽は、
すぐに結果が見えるものばかりではありません。

届いたかどうかを急いで判断せず、
それでも誰かに向かって音を置いてみる。

その繰り返しの中で、
音は少しずつ育っていくのではないでしょうか。

音楽は、受け取られたときに少し変わる

自分の中にあった気持ちを、
音にして外へ出してみる。

それを誰かが聴いてくれる。

その人の表情が少し変わる。
うなずいてくれる。
何も言わずに、少しだけ静かになる。

そういう瞬間に、
音楽は自分のものだけではなくなります。

自分の中から出た音が、
誰かの中で別の響きを持ちはじめる。

そこに、
音楽の不思議さがあるのではないでしょうか。

自分ではただの一音だと思っていたものが、
誰かにとっては励ましになることがあります。

自分では少し頼りないと思っていた歌声が、
誰かにとっては安心になることがあります。

音楽は、
聴いてくれる人の中で、
もう一度生まれ直すのかもしれません。

自分の音を、誰かに向けて育てていく

音楽は、
自分を満たすための時間でもあります。

自分の気持ちを確かめること。
自分の音に戻ること。
自分の中にあるものを、そっと外へ出してみること。

それは、とても大切な時間です。

でも、その音が誰かに届いたとき、
音楽はもう一つ別の意味を持ちはじめます。

聴いてくれる人がいるから、
音は育つ。

誰かの中に少しでも残るかもしれないと思うから、
一音を丁寧に置きたくなる。

誰かと響きを分かち合えるかもしれないと思うから、
自分の音をもう一度聴き直したくなる。

その音は、
誰に届いてほしいのか。

その問いを持つことで、
音楽は少しずつ、
自己満足の先へ進んでいくのかもしれません。

レッスンやセッションの中で、
自分の音を聴きながら、
それが誰かにどう届くのかを、
一緒に確かめてみませんか。

ひとりで鳴らしていた音が、
誰かに届いたときにどう変わるのか。
その小さな変化を、一緒に味わっていけたらと思います。

Music Space サヴァサヴァ
  野口 尚宏

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