やさしい入口は、浅い音楽という意味ではない
音楽教室の入口は、
やさしい方がよいのでしょうか。
それとも、
最初から専門的で、
厳しい方がよいのでしょうか。
そんなことを考えることがあります。
やさしい入口というと、
どこか浅い内容を想像されることがあるかもしれません。
誰でも気軽に。
楽しく。
難しいことは抜きにして。
そのような言葉は、
安心感を生む一方で、
音楽の深さとは少し離れて見えることもあります。
でも、本当はそうではないのだと思います。
入口がやさしいことと、
音楽が浅いことは、
同じではありません。
むしろ、入口が閉じていると、
人は深いところまで進む前に、
音楽から離れてしまうことがあります。
最初の一歩が安心できるからこそ、
その先にある難しさや奥行きにも、
少しずつ向き合えるのではないでしょうか。
最初から分かっていなくても、深い音楽へ進んでいける
ジャズには、
確かに難しい部分があります。
コードの仕組み。
リズムの感じ方。
アドリブの組み立て方。
音と音の距離。
セッションでの反応。
それらは、
すぐに分かるものばかりではありません。
だからこそ、
最初から全部を分かっている必要はないのだと思います。
分からないまま音を出してみる。
うまく説明できないけれど、
その響きに惹かれてみる。
誰かの音に合わせて、
少しだけ自分の音を置いてみる。
そういう始まり方でも、
音楽は十分に動き出します。
そして、実際に音を出してみたあとで、
なぜ理論が必要なのかが見えてくることがあります。
なぜコードを学ぶのか。
なぜリズムを身体で感じる必要があるのか。
なぜ相手の音を聴くことが大切なのか。
先に答えを覚えるのではなく、
音楽の中で必要を感じてから学ぶ。
その順番だからこそ、
知識は自分の音に結びついていくのではないでしょうか。
知識は、人を遠ざける壁ではなく、音楽を深める地図になる
音楽を深く学ぶには、
知識も技術も必要です。
コードを知ること。
インターバルを聴くこと。
リズムの重心を感じること。
声や音色を整えること。
フレーズの背景を理解すること。
それらは、
音楽を自由にするための大切な学びです。
ただ、その知識が、
人を遠ざけるために使われると、
音楽は少し窮屈になります。
それを知らないならだめ。
その弾き方は本物ではない。
その聴き方は浅い。
そういう言葉が強くなるほど、
新しく音楽に惹かれた人は、
入口で立ち止まってしまうかもしれません。
サヴァサヴァで大切にしている「論理という地図」は、
人をふるいにかけるためのものではありません。
今、自分がどこにいるのか。
次にどこへ向かえるのか。
なぜ、その音が心地よく響くのか。
そういうことを、
少しずつ確かめるための地図です。
地図があるから、
音楽は狭くなるのではありません。
地図があるから、
安心して深いところへ歩いていけるのだと思います。
マニアックであることだけが、深さではない
ジャズを深く知ることは、
とても魅力的です。
名演を聴く。
時代ごとのスタイルを知る。
複雑なコードの動きを分析する。
偉大な演奏家のフレーズを学ぶ。
その積み重ねによって、
聴こえるものは確かに増えていきます。
ただ、マニアックであることだけが、
音楽の深さではないようにも思います。
どれだけ詳しくても、
相手の音を聴けていなければ、
音楽は一人の中で閉じてしまうことがあります。
どれだけ難しいことを知っていても、
その知識が誰かを遠ざける壁になってしまえば、
音楽の場は少し細くなってしまいます。
深い音楽とは、
難しいことを知っているだけではなく、
人の音を受け取れることでもあるのではないでしょうか。
相手の迷いを聴く。
小さな音の変化に気づく。
自分とは違う感じ方を、
すぐに否定せずに聴いてみる。
そのような態度もまた、
音楽の深さに関わっているのだと思います。
協調することで、技術は自然に磨かれていく
音楽で協調することは、
自分を小さくすることではありません。
相手の音を聴きながら、
自分の音をどこに置くのかを選ぶことです。
誰かと合わせてみると、
一人では気づけなかったことが見えてきます。
少し急いでいたこと。
伴奏が大きすぎたこと。
音を出す前に、
相手の呼吸を聴けていなかったこと。
間を怖がって、
音で埋めすぎていたこと。
そういうことは、
人と響き合う中で自然に分かってくることがあります。
協調は、
技術を弱めるものではありません。
むしろ、
聴く力、
待つ力、
支える力、
必要な音を選ぶ力を育ててくれます。
ジャズの学びには、
この協調の中で育つ技術があります。
一人で正しく弾けることも大切です。
でも、人と合わせたときに、
その技術をどう使うのか。
そこに、音楽としての本当の力が表れてくるのではないでしょうか。
入口を開くことは、基礎を軽く見ることではない
やさしい入口を大切にするというと、
基礎を軽く見ているように感じる方もいるかもしれません。
でも、そうではありません。
むしろ、深い音楽へ進むためには、
基礎が必要です。
音を聴くこと。
リズムを感じること。
コードの役割を知ること。
声やピアノの音色を整えること。
相手の音に反応すること。
これらは、
決して簡単なことではありません。
ただ、難しいからこそ、
最初の入口は安心できる方がよいのだと思います。
分からないことを責められない。
できないことを笑われない。
知らないことを理由に、
音楽から遠ざけられない。
そういう場所だからこそ、
人は基礎に本気で向き合えることがあります。
入口をやさしくすることは、
音楽を簡単に済ませることではありません。
深い学びへ向かうための、
大切な準備なのだと思います。
開かれた入口から、本質的な音楽へ
音楽の入口が開かれていると、
いろいろな人が入ってきます。
昔からジャズを聴いてきた人。
ジャズはよく分からないけれど、
コードでピアノを弾いてみたい人。
洋楽やジャズの歌を、
自分の声で歌ってみたい人。
セッションで、
誰かと音を合わせてみたい人。
それぞれの入口は違います。
でも、音を聴き、
音を出し、
人と響き合う中で、
少しずつ同じ深さへ向かっていくことがあります。
ジャズは、
分かる人だけが閉じた場所で楽しむ音楽ではありません。
音で人と関わり、
その場で新しい感覚を呼び覚ましていく音楽でもあります。
だからこそ、入口は開かれていてよいのだと思います。
そして、その入口の先には、
決して薄まった音楽ではなく、
本質的で深い音楽が待っているのではないでしょうか。
サヴァサヴァが大切にしているジャズとの向き合い方
サヴァサヴァでは、
ジャズを特別な人だけのものとして扱いたくありません。
けれど同時に、
ジャズの深さを浅く済ませたいわけでもありません。
入口はやさしく、音楽は深く。
その言葉には、
両方の思いが含まれています。
最初の一歩は、
安心して踏み出せるものであってほしい。
でも、その先では、
耳を育て、
理論を学び、
人と響き合いながら、
音楽の深さへ少しずつ進んでいきたい。
そのような学び方を、
大切にしています。
もし、ジャズは難しそうだと感じながらも、
音を合わせて会話するように音楽を楽しんでみたい気持ちがあるなら、
レッスンやセッションの中で、
その入口を一緒に探してみませんか。
やさしい入口から入り、
深い音楽へ少しずつ進んでいく。
その歩みを、
一緒に聴きながら育てていけたらと思います。
Music Space サヴァサヴァ
野口 尚宏

