AIにオリジナリティは奪えない。ジャズ講師が語る「体験」としての音楽

背景の無機質で完璧なデジタル波形と、手前で笑い合いながら演奏する人間味あふれるジャズセッションの対比:AIにはない音楽体験の温かさ

「Suno」をはじめとする音楽生成AIの進化には目を見張るものがあります。
ボタン一つで、プロ顔負けの楽曲が数秒で生成される時代。
「アーティストの職が奪われるのではないか」
「人間のオリジナリティなんて意味がなくなるのではないか」
という不安の声もよく耳にします。

しかし、ジャズピアノとボーカルを教える一人の講師として、
私はこの状況を不思議と冷静に、
むしろ「面白い」とすら感じています。

なぜなら、AIがいかに完璧なデータを作ろうとも、
私たち人間が音楽をする「本当の理由」には、
指一本触れることができないと知っているからです。

「空間芸術」と「時間芸術」

芸術には大きく分けて二つの種類があります。
絵画や彫刻のように完成された作品が残り続ける「空間芸術」と、
音楽や演劇のように時間の経過と共に消えていく「時間芸術」です。

AIは、過去の膨大なデータを学習し、
再構築すること(空間的なアプローチ)は得意です。
しかし、ジャズの本質はそこにはありません。
ジャズとは、その場の空気、共演者の呼吸、観客の熱気を感じながら、
「今、この瞬間」にしか生まれない音を紡ぎ出すプロセスそのものです。

一瞬で消えてしまうからこそ、
そこには「二度と同じ時間は来ない」という尊さが宿ります。
この「刹那のコミュニケーション」だけは、
どんな高性能なAIにも代替することはできません。

曖昧だからこそ、分かり合える

言葉によるコミュニケーションは、定義することで意味を限定します。
それは時に、「あなたは右、私は左」といった分断を生むこともあります。
一方で、音楽は「抽象性」を残しています。

ジャズのセッションでは全く違う考えや背景を持つ人間同士でも、
音を通じて「なんとなく分かり合える」瞬間があります。
そもそもジャズは先人たちの模倣や影響の歴史の上に成り立っています。
「自分だけのオリジナリティ」に固執して壁を作るのではなく、
他者と感覚を共有し、混ざり合うこと。
それが音楽という対話の醍醐味なのです。

10年通い続けた生徒さんの話

私が「音楽は結果ではなく体験だ」と確信した、
ある生徒さんのエピソードがあります。

40代で全くの未経験から始められた男性の生徒さんでした。
正直に言えば、彼は音程を取るのが非常に苦手で、
技術的な習得には大変な苦労をされていました。
それでも彼は、10年以上にわたってレッスンに通い、
セッションに参加し続けました。

もし彼が求めていたのが「完璧で上手な歌(結果)」だけだったなら、
今のAIを使えば数秒で手に入ったでしょう。
あるいは、もっと早くに挫折していたかもしれません。

プロセスそのものが「喜び」

しかし、彼が求めていたのは違いました。
下手でもいい、不恰好でもいい。
「他者と共に音を出し、その場の空気を震わせる」という体験そのものに、
彼は喜びを見出していたのです。

汗をかき、緊張し、時に失敗し、そして誰かと目が合って笑い合う。
その泥臭いプロセスの中にこそ、人間が音楽をする意味があります。
AIがどれほど美しい「正解」を出したとしても、
この「体験としての価値」が揺らぐことはありません。

もちろん、権利問題やアーティストの保護は重要な課題です。
しかし、技術の進化をただ恐れる必要はありません。

AIには作れないもの。
それは技術の巧拙ではなく、
「誰が、なぜ、誰と奏でるか」という人間的な文脈(ストーリー)です。
私たちはAIという便利な道具と共存しながら、
人間だけに許された「音楽という体験」を、
これからも大いに謳歌していけばいいのです。

野口 尚宏