技術は、人の心に届くためにある

暖かな光の部屋で、大人の男性が一台のアップライトピアノの前に座り、技術を見せつけるのではなく、近くで聴く人の心へ届くように静かに演奏している水彩アニメ風イラスト。ピアノから伸びる黄金の音の糸が聴き手の胸元へやさしく届き、背景には速い音や複雑なハーモニーを思わせる淡い光が、最後には温かな響きへ溶けている。下部中央に「技術は、人の心に届くためにある。」という白い文字が入っている。

上手さを見せるために、音楽をしているのでしょうか

音楽を続けていると、
どうしても技術に目が向くことがあります。

速く弾けること。
難しいコードを使えること。
複雑なリズムに乗れること。
高い音を出せること。
正確に演奏できること。

それらは、もちろん大切です。

技術がなければ、
表現したいことが音にならないことがあります。

思いはあっても、
それを支える器がなければ、
聴き手に届く前にこぼれてしまうこともあります。

だから、技術を身につけることには意味があります。

ただ、その技術は、
自分のすごさを証明するためだけのものなのでしょうか。

どれだけ速く弾けても、
どれだけ難しいハーモニーを使えても、
それが誰かの心に触れないなら、
音楽は少し寂しいものになってしまうかもしれません。

音楽は、
技術の自慢のためにあるのではないのだと思います。

技術は、
人の心に届くためにこそ、
磨かれていくものではないでしょうか。

技術があるほど、何を届けるのかが問われる

技術が増えると、
できることも増えていきます。

速いパッセージ。
複雑なボイシング。
細かなリズムの変化。
高度なアドリブ。
豊かな声のコントロール。

それらを身につけるには、
長い時間と努力が必要です。

だからこそ、
技術そのものに誇りを持つことは自然なことです。

でも、技術があるほど、
もう一つの問いが生まれます。

その技術で、
何を届けたいのか。

誰に向かって、
その音を鳴らしているのか。

その速さや複雑さは、
聴く人の心を少しでも開いているのか。

それとも、
ただ演奏者の中で完結しているだけなのか。

技術は、
増えれば増えるほど、
使い方が問われていくのだと思います。

多くのことができるからこそ、
何を弾かないのか。

何を選び、
何を手放し、
どの音を誰かに届けるのか。

そこに、音楽家としての深さが表れるのではないでしょうか。

人の心は、技術よりも複雑かもしれない

難しいハーモニーは、
確かに複雑です。

細かなリズムも、
高度なアドリブも、
簡単に身につくものではありません。

でも、人の心は、
それ以上に複雑なのかもしれません。

嬉しいのに、少し寂しい。

前へ進みたいのに、
どこかで立ち止まっている。

大丈夫だと言いながら、
本当は誰かに気づいてほしい。

強く見えても、
内側では静かに揺れている。

そういう人の心に触れるには、
ただ難しいことをするだけでは足りないことがあります。

むしろ、
一つの音をどう置くのか。

どこで待つのか。

どれくらい強く言うのか。

どの余韻を残すのか。

そういう小さな選択の方が、
深く届くこともあるのではないでしょうか。

音楽の技術は、
複雑な人の心に近づくためにある。

そう考えると、
技術の意味は少し変わってくるように思います。

速く弾けることと、深く届くことは同じではない

速く弾けることには、
大きな魅力があります。

指が自由に動くこと。
複雑なフレーズをなめらかに弾けること。
リズムの中で自在に動けること。

それは、長い練習の結果です。

ただ、速さだけでは、
人の心に届かないこともあります。

速く弾くことで、
音楽が前へ進むこともあります。

でも、速さがただの見せ場になってしまうと、
聴き手の心は置いていかれることがあります。

同じように、
難しいハーモニーも、
それだけで深い音楽になるわけではありません。

そのハーモニーが、
何を照らしているのか。

誰のどんな気持ちに、
そっと触れようとしているのか。

そこがなければ、
複雑な音も、
ただ複雑なまま通り過ぎてしまうかもしれません。

速く弾けることと、
深く届くことは、
同じではありません。

技術は、
心に届く方向へ向けられて初めて、
音楽の力になるのだと思います。

様々な境遇の人に届くために、技術を学ぶ

音楽を聴く人は、
みんな同じ気持ちで聴いているわけではありません。

元気な人もいます。

疲れている人もいます。

今は何も言葉にしたくない人もいます。

楽しい音楽を求めている人もいれば、
静かに寄り添ってくれる音を求めている人もいます。

同じ曲でも、
その人の境遇によって、
受け取り方は変わります。

だから、演奏する側には、
いろいろな届け方が必要になります。

明るく鳴らす技術。

静かに支える技術。

言葉にならない気持ちを、
音の余白に置く技術。

誰かの歌を邪魔せずに、
そっと包む技術。

場の空気を聴き、
必要な音だけを選ぶ技術。

技術は、
人より上に立つためではなく、
様々な境遇の人の心へ届くために増やしていくものなのではないでしょうか。

技術は、器であって目的ではない

技術は、
音楽にとって大切な器です。

器が小さければ、
入れたいものがこぼれてしまうことがあります。

器が硬すぎれば、
中に入れたものまで硬く見えてしまうことがあります。

器が整っていれば、
繊細な感情も、
複雑な思いも、
壊さずに運ぶことができます。

だから、技術を磨くことには意味があります。

ただ、器ばかりを見せようとすると、
中にあるはずの音楽が見えにくくなってしまいます。

本当に大切なのは、
その器に何を入れるのか。

誰のところへ、
どんな形で届けるのか。

そこではないでしょうか。

技術は目的ではなく、
心を運ぶための器なのだと思います。

自己満足の先にある音楽へ

音楽を練習する中では、
自分ができるようになる喜びも大切です。

昨日できなかったことが、
今日少しできるようになる。

難しかったフレーズが、
少しなめらかにつながる。

出にくかった声が、
少し安定して響く。

その喜びは、
音楽を続ける大切な力になります。

でも、音楽はそこで終わらなくてもよいのだと思います。

できるようになったことを、
誰かと分かち合う。

自分の技術を、
誰かの歌や気持ちを支えるために使う。

自分の表現が、
誰かの中にある言葉にならないものに、
そっと触れる。

そこに、
自己満足の先にある音楽があるのではないでしょうか。

音楽は、
自分の力を誇示するためだけの場所ではありません。

誰かと響きを分かち合い、
人の心に届く道を探す場所でもあるのだと思います。

心に触れるために、技術を磨いていく

技術は必要です。

基礎も必要です。

理論も、練習も、
音色を整える時間も必要です。

でも、それらはすべて、
人より優れて見えるためだけのものではありません。

もっと複雑で、
もっと揺れやすく、
もっと言葉にしにくい人の心へ近づくためのものです。

速く弾くことも、
難しいハーモニーを使うことも、
深い発声を身につけることも、
その先に誰かの心があるとき、
初めて本当の意味を持つのかもしれません。

もし、技術を磨きながらも、
それを何のために使えばよいのか迷うことがあるなら、
レッスンやセッションの中で、
音が誰にどう届くのかを一緒に聴いてみませんか。

技術を見せるためではなく、
誰かの心に届く音を探すために。

その方向へ、
一緒に音楽を育てていけたらと思います。

Music Space サヴァサヴァ
  野口 尚宏

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!