アドリブは、間違えながら育っていく

暖かな光の部屋で、大人の男性が一台のアップライトピアノの前に座り、完璧に演奏するのではなく、試行錯誤しながら音を探している水彩アニメ風イラスト。鍵盤からいくつもの黄金の音の道が立ち上がり、曲がったり消えたりしながら、その一つが少しずつ明るくなっていく。周囲には理論やコードを思わせる淡い記号が地図のように浮かび、下部中央に「間違いながら、音は自由になる。」という白い文字が入っている。

理論を知らないと、音を出してはいけないのでしょうか

ジャズやアドリブを学ぼうとすると、
まず理論をきちんと理解しなければいけないように感じることはないでしょうか。

コードを知らなければいけない。
スケールを覚えなければいけない。
テンションを理解しなければいけない。
どの音が使えるのかを、先に知っておかなければいけない。

もちろん、理論や知識は大切です。

何も知らないまま進もうとすると、
どこに向かえばよいのか分からなくなることがあります。

ただ、理論をすべて理解してからでないと、
音を出してはいけないわけではありません。

むしろ、音を出してみなければ、
その理論がなぜ必要なのかが、
本当の意味では見えてこないこともあります。

まず音を組み立ててみる。

うまくいかないところに出会う。

そのとき初めて、
「ああ、ここに地図が必要だったのか」と気づくことがあるのではないでしょうか。

知識は、困ったときに初めて自分のものになる

音楽理論を学ぶことは、
地図を持つことに少し似ています。

どこにコードの流れがあるのか。
どの音が安定しているのか。
どこに少し緊張感を作れるのか。
どこへ解決していけるのか。

そういうことを知ると、
音楽の景色は見えやすくなります。

でも、地図だけを眺めていても、
実際に歩いた感覚はまだ分かりません。

道に迷ってみる。

思った場所にたどり着けない。

同じところを何度も回ってしまう。

そういう経験をしたあとで地図を見ると、
そこに書かれている線や記号が、
急に自分のこととして見えてくることがあります。

音楽も同じではないでしょうか。

知識は、先に全部覚えたから自分のものになるのではなく、
音の中で困ったときに、
初めて必要なものとして身体に入ってくることがあります。

試してみるから、何が足りないのかが分かる

アドリブは、
頭の中だけで完成させることが難しい音楽です。

こう弾こうと思っていても、
実際に音を出すと違って聴こえることがあります。

このスケールを使えばよいと思っていたのに、
なぜか音楽の流れに合わないことがあります。

覚えたフレーズを入れてみたけれど、
どこか借りもののように感じることもあります。

それは、失敗というより、
自分の耳が何かを教えてくれている時間なのかもしれません。

なぜ合わなかったのか。

どこで急いでしまったのか。

どの音に戻れば、少し落ち着くのか。

そういうことは、
実際に音を出してみないと見えにくいものです。

試してみるから、
何が足りないのかが分かります。

間違えてみるから、
どこに戻ればよいのかが分かります。

失敗の中で、
理論や知識がただの情報ではなく、
必要な道具として見えてくるのだと思います。

間違いは、アドリブの外側にあるものではない

アドリブというと、
自由に弾ける人だけができるもののように見えることがあります。

すぐに音を選べる人。
迷わずフレーズを出せる人。
どんなコードにも自然に反応できる人。

そういう姿を見ると、
間違える自分はまだアドリブ以前の場所にいるように感じるかもしれません。

でも本当は、
間違いはアドリブの外側にあるものではないのだと思います。

音を選び、
外れたと感じ、
戻る場所を探し、
もう一度別の音を置いてみる。

その繰り返しそのものが、
アドリブの中にあります。

間違わないことが自由なのではありません。

間違えたあとに、
耳を開いて次の音を探せること。

そこに、即興演奏の大切な力があるのではないでしょうか。

失敗しないようにすると、耳が閉じてしまうことがある

間違えないようにしようとすると、
人はどうしても安全な音だけを選びたくなります。

外れない音。
怒られない音。
無難に収まる音。
誰かに変だと思われにくい音。

そういう音を選ぶことが、
必要な場面もあります。

でも、そこだけに閉じこもってしまうと、
自分の耳が本当に何を聴きたがっているのかが、
少し分かりにくくなることがあります。

失敗を避けるための音と、
今の自分が本当に選びたい音は、
いつも同じではありません。

少し外へ踏み出してみる。

変な音になったら、
その変な感じを聴いてみる。

なぜ変に聴こえたのか。
どこへ進めば、音楽として戻ってこられるのか。

そうやって耳を使うことで、
アドリブは少しずつ育っていくのだと思います。

理論は、失敗したあとに戻ってこられる場所になる

理論というと、
間違えないための決まりのように感じる方もいるかもしれません。

このコードでは、この音を使う。

このスケールなら、この響きになる。

この進行では、ここへ解決できる。

確かに、そうした知識は、
音を選ぶときの助けになります。

でも、理論は人を縛るためのものではありません。

試して、迷って、
少し外へ出たあとに、
もう一度戻ってこられる場所でもあります。

だから、理論は最初から完璧に覚えるものというより、
音を出しながら何度も必要になっていくものなのかもしれません。

ここでなぜ響きが濁ったのか。

この音は、どこへ進めば自然なのか。

なぜこのフレーズは、
今のコードに合わなかったのか。

そういう問いが生まれたとき、
理論は初めて、
自分のための地図になっていきます。

アドリブは、完成してから始めるものではない

もっと分かってから。
もっと弾けるようになってから。
もっと理論を覚えてから。

そう思っているうちに、
アドリブを始めるタイミングが、
どんどん遠くなることがあります。

でも、アドリブは、
完成してから始めるものではないのだと思います。

不完全なまま、
音を出してみる。

分からないまま、
一つの音を置いてみる。

うまくいかなかったら、
そこから聴き直してみる。

その繰り返しの中で、
自分に本当に必要な知識が見えてきます。

最初から自由に弾けるからアドリブをするのではありません。

アドリブをしながら、
少しずつ自由になるのではないでしょうか。

まず音を出してみるところから、音楽は動き出す

理論を学ぶこと。
知識を増やすこと。
コードやスケールを理解すること。

それらは、どれも大切です。

ただ、それだけでは、
まだ音楽は動き出さないことがあります。

音を出してみる。
組み立ててみる。
失敗してみる。
なぜうまくいかなかったのかを聴いてみる。

その試行錯誤の中で、
知識は少しずつ意味を持ちはじめます。

もし、アドリブを始めたいけれど、
まだ理論が足りないからと感じているなら、
レッスンやセッションの中で、
まず一緒に音を出してみませんか。

間違いを避けるためではなく、
間違いの中から何が必要なのかを見つけるために。

その試行錯誤の時間を、
一緒に音楽として育てていけたらと思います。

Music Space サヴァサヴァ
  野口 尚宏

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