自分の音を聴くのが、少し怖いことはありませんか
自分の演奏を録音して聴いたとき、
思っていた音と違っていて、
少し落ち込んでしまうことはないでしょうか。
自分の声を聴くのが苦手。
ピアノの音が硬く感じる。
リズムが思っていたより前のめりに聴こえる。
歌っているつもりなのに、どこか平たく聴こえる。
そんなふうに感じると、
「自分の音は良くない」と、
すぐに決めてしまいたくなるかもしれません。
でも、その音は、
本当に悪い音なのでしょうか。
もしかすると、
まだ聴き慣れていないだけかもしれません。
あるいは、
今まで自分が思っていた自分の音と、
実際に鳴っている音との間に、
少し距離があるだけなのかもしれません。
自分の音を好きになれないとき、
まず必要なのは、
その音をすぐに責めることではないのだと思います。
少し時間をかけて、
その音が何を語っているのかを聴いてみること。
そこから音楽が変わることもあるのではないでしょうか。
録音された音は、少し冷たく聴こえることがある
自分で弾いているとき、
自分で歌っているとき、
音は身体の内側から聴こえています。
指の感覚。
呼吸の感覚。
胸の響き。
弾きながら感じている気持ち。
そういうものと一緒に、
自分の音を聴いています。
でも録音された音は、
その身体の感覚を少し外して、
こちらに返ってきます。
だから、思っていたより冷たく聴こえたり、
平らに聴こえたり、
頼りなく聴こえたりすることがあるのかもしれません。
それは、必ずしも音が悪いということではありません。
自分の内側で聴いていた音と、
外に出た音との違いに、
まだ耳が慣れていないだけということもあります。
録音を聴いて落ち込むとき、
その音をすぐに否定する前に、
少しだけ距離を置いて聴いてみてもいいのではないでしょうか。
これは自分を責めるための音なのか。
それとも、今の自分を知るための音なのか。
その問い方だけでも、
音の聴こえ方は少し変わってくるように思います。
嫌いだと思った音の中にも、理由がある
自分の音を聴いて、
「嫌だな」と感じる瞬間があるかもしれません。
声が細い。
音が硬い。
リズムが重い。
フレーズがぎこちない。
そう感じると、
その音を早く直したくなることもあるでしょう。
もちろん、練習によって変えていける部分はあります。
けれど、その前に、
その音がなぜそうなっているのかを、
少し聴いてみる時間も大切なのではないでしょうか。
音が硬いのは、
本当に雑だからでしょうか。
もしかすると、
間違えたくない気持ちが強くて、
身体が少し固くなっているのかもしれません。
声が小さいのは、
本当に表現力がないからでしょうか。
もしかすると、
自分の気持ちを前に出すことに、
まだ少し慎重なだけなのかもしれません。
リズムが前のめりになるのは、
ただ下手だからでしょうか。
もしかすると、
早く正解にたどり着きたい気持ちが、
音に出ているのかもしれません。
嫌いだと思った音の中にも、
その人の状態や願いが隠れていることがあります。
だからこそ、
責める前に聴いてみることが、
音楽を変える最初の一歩になるのだと思います。
自分の音を責める耳と、育てる耳
同じ音を聴いていても、
責める耳で聴くのか、
育てる耳で聴くのかで、
受け取り方は変わります。
責める耳は、
できていないところだけを探します。
ここが悪い。
ここが遅い。
ここが変。
やっぱり自分は駄目だ。
そう聴いてしまうと、
音楽は少しずつ苦しいものになってしまいます。
一方で、育てる耳は、
今の音の中にある可能性を探します。
ここは少し硬いけれど、
本当は丁寧に弾こうとしているのかもしれない。
この声はまだ不安定だけれど、
言葉を大切にしようとしているのかもしれない。
このリズムは少し急いでいるけれど、
前へ進みたい気持ちがあるのかもしれない。
そうやって聴くと、
同じ音の中にも、
ただの欠点ではないものが見えてくることがあります。
自分の音を好きになるというのは、
無理に褒めることではないのだと思います。
嫌だと感じる部分も含めて、
その音がどこから来ているのかを、
少しずつ聴いていくことなのかもしれません。
悪い音ではなく、まだ育つ途中の音かもしれない
自分の音にがっかりしたとき、
「これは悪い音だ」と決めてしまうのは簡単です。
でも、音楽の中には、
まだ育つ途中の音があります。
今は少し硬いけれど、
これから力が抜けていく音。
今は少し頼りないけれど、
これから息が通っていく声。
今は少し不安定だけれど、
これから身体の中に入っていくリズム。
それを、今の段階だけ見て、
すべて駄目だと決めてしまうのは、
少し早いのかもしれません。
植物の芽を見て、
「まだ花ではないから意味がない」とは言わないように。
音にも、
まだ芽のような状態があるのではないでしょうか。
その芽をすぐに切ってしまうのではなく、
どんな音に育っていくのかを見守ること。
それも、音楽を続けるうえで大切な姿勢なのだと思います。
人の音には優しくなれるのに、自分の音には厳しくなる
不思議なことに、
人の演奏を聴くときには、
少し優しくなれることがあります。
緊張しているのかもしれない。
一生懸命弾いているのだろう。
この人なりの良さがある。
そんなふうに受け止められることがあるのに、
自分の音になると、
急に厳しくなってしまうことはないでしょうか。
どうしてこんな音なのか。
どうしてもっと自然にできないのか。
どうして何度やっても変わらないのか。
その厳しさは、
上手くなりたい気持ちの裏返しなのだと思います。
だから、悪いものではありません。
ただ、その厳しさだけで自分の音を聴き続けると、
音を出すこと自体が怖くなってしまうことがあります。
人の音に向けているような優しさを、
自分の音にも少しだけ向けてみる。
それは、甘やかすことではありません。
自分の音を、
育てる対象として受け止め直すことなのだと思います。
自分の音を好きになる前に、責めずに聴いてみる
自分の音を好きになろうとしても、
すぐには難しいことがあるかもしれません。
好きにならなければいけないと思うほど、
かえって苦しくなることもあります。
だから、最初から好きになれなくてもいいのだと思います。
まずは、責めずに聴いてみる。
この音は、
どこで固くなっているのだろう。
この声は、
何を怖がっているのだろう。
このリズムは、
どこへ急ごうとしているのだろう。
そんなふうに聴いていくと、
自分の音は敵ではなくなっていきます。
まだ整っていない部分があっても、
そこには自分なりの気配があります。
その気配を聴き取るところから、
音楽は少しずつ自分のものになっていくのではないでしょうか。
もし、自分の音を責めてしまう時間が長くなっているなら、
レッスンやセッションの中で、
その音を一緒に聴き直してみませんか。
悪い音として片づける前に、
その音の中に何が育とうとしているのかを、
一緒に探していけたらと思います。
Music Space サヴァサヴァ
野口 尚宏

