音楽は、誰かに「共感する」ことから始まる
ふと、こんな問いを考えることがあります。
音楽はなぜ、こんなにも
人の心を動かすのだろう。
言葉の壁を超えて、
世代の違いを超えて、
国境さえも超えて、
人の心の奥にまっすぐ届く。
その理由を突き詰めていくと、
ひとつの答えに辿り着きます。
音楽の根っこには、
「共感」があるのです。
「自分のため」だけの音楽は、どこか寂しい
今の世界を見渡すと、
「自分のことだけを考えなさい」
というメッセージで
溢れているように感じます。
自己実現、
自己責任、
自分軸、
セルフブランディング。
もちろん、
自分を大切にすることは
とても重要です。
でも、
「自分」だけに焦点が向きすぎると、
不思議と心が痩せていく感覚を
覚える方もいるのではないでしょうか。
音楽も同じです。
「自分のためだけ」に弾く音楽は、
どこか孤独な響きを持ちます。
技術的には完璧でも、
聴いていてどこか
心に届かない音になってしまう。
音楽は本来、
「誰かと心を通わせるため」に
生まれたものだからです。
人は、誰かとの関係の中で生きている
「自分が存在している」とは、
どういうことでしょうか。
少し哲学的な話になりますが、
人は一人で「自分」になることは
できません。
誰かと出会い、
誰かと話し、
誰かに認められ、
誰かを大切に思う。
そういった他者との関係の中で初めて、
「自分」という存在が
形作られていきます。
これは、
古今東西の哲学者や心理学者が
共通して指摘してきたことです。
つまり、
「人と関わること」は
面倒なことではなく、
自分が自分でいるために
欠かせない営みなのです。
アンサンブルは、「共感」の体験そのもの
音楽のアンサンブルやセッションは、
この「共感」を体感できる
もっとも豊かな場所です。
誰かの音を聴いて、
その音に自分の音を寄せていく。
相手の呼吸を感じて、
自分の呼吸を合わせていく。
相手の気持ちを音から汲み取って、
自分の音で応えていく。
これはまさに、
「共感する」という行為そのものです。
言葉では説明しないし、
説明する必要もない。
でもそこに、
人間が本来持っている
「他者と心を通わせる力」が
確かに動き出しています。
セッションでは、「自分」が一度溶ける
不思議なことに、
本当に良いセッションをしたあとは、
「自分が消えた」
ような感覚が残ります。
誰の音か、
自分の音か、
わからなくなる瞬間がある。
音楽が「私たち」のものとして
そこに在った時間。
その体験をすると、
奇妙なことに
「自分」がより豊かになっています。
一度自分を手放すことで、
かえって自分が深まる。
これは、
個人主義の文脈ではなかなか
得られない体験です。
そしてこの感覚は、
音楽を続けてきた人にとって
もっとも大切な宝物のひとつだと思います。
共感する力は、世界を少しだけ柔らかくする
今の世界情勢を見ていると、
分断や対立のニュースが
毎日のように目に入ってきます。
そんな時代だからこそ、
「共感する力」が
静かに大切になっていると感じます。
音楽で誰かと心を通わせる経験は、
音楽の場面だけにとどまりません。
家族や友人との会話、
職場での人間関係、
すれ違う人へのまなざし。
そういった日常の
すべての場面に
少しずつ滲み出ていきます。
音楽は、
あなた自身を癒やすだけでなく、
あなたの周りの世界を
ほんの少し柔らかくする力を
持っているのです。
「自分のために」が、いつしか「誰かのために」へ
音楽を始める動機は、
多くの場合
「自分のため」です。
ストレス発散のため、
自己実現のため、
趣味を持ちたいため。
それで全く問題ありません。
でも、続けていくうちに
不思議な変化が訪れます。
「誰かに聴いてほしい」
「誰かと一緒に弾きたい」
「自分の音が、誰かの心に
少しでも届けばいい」
音楽の喜びの矢印が、
自分の内側だけでなく
外へも向かい始める。
その瞬間、
音楽はもう一段階
深いものになります。
一人で抱えてきた音楽を、誰かと共鳴させてみませんか
もし今、
一人で音楽を抱えている方がいたら。
個人主義の世界に少し疲れを感じて、
誰かと心を通わせる時間を
欲している方がいたら。
共感は、
頭で理解するものではありません。
誰かと音を出し合う、
その時間の中でしか
体に染み込まないものです。
サヴァサヴァには、
あなたの音をしっかり聴いて、
共鳴を返してくれる仲間がいます。
競うのでも、
評価するのでもなく、
ただ心を通わせるために
音を出し合う時間。
そんな場所を、
一度のぞきに来てみませんか。
Music Space サヴァサヴァ
野口 尚宏

