恵まれているのに、なぜ聴けない?〜CDやレコードとサブスク、決定的な聴き方の違い〜

温かみのある水彩画風のイラスト。画面を左右に分割し、左側にはCDウォークマンを聴く若い人物が暖かく落ち着いた琥珀色の光に包まれ、少ないCD(3枚)から深く、濃く、血肉化された、木の根のように深く伸びていく輝く黄金の音符や音楽のシンボルが渦巻いている(制限がもたらす深化)。右側には、現代の人物がスマホを操作しながらイヤホンで音楽を聴き、無数(数千万曲)の曲のタイトルやアイコンが浅く、薄く、消費されるように、雨のように人物の周りをすり抜けていく。スマホからはSNSの通知やニュースのアイコン(ノイズ)が人物の周りを飛び交い、人物の集中を妨げている。和音のシンボルが崩れている(無限がもたらす浅薄化)。中央下部には、スマホから離れた場所に置かれた数枚の名盤が描かれ、そこから再び深い根が伸びようとしている様子(締めくくりの提案)を表現。日本語タイトル「恵まれているのに、なぜ聴けない?〜制限がもたらす深化〜」を配置。

「今の音楽環境は、昔とは比べ物にならないほど充実しています」
スマホ一台あれば、数千万曲に1秒でアクセスできる。これほど恵まれた時代はありません。
しかし、多くの大人の生徒さんから、時々こんな声をお聞きします。
「恵まれているはずなのに、昔(レコードやカセットテープ、レコード時代)の方が、
もっと音楽を深く聴けていた気がしませんか?」

ご指摘の通りです。
不便だったあの頃の方が、私たちは音楽と深く対峙し、
その深みを理解していたかもしれません。
現代の充実した環境が、
なぜ私たちの「深く聴く耳」を浅くしてしまったのでしょうか。

不便だったからこそ、逃げ場のない「圧倒的な反復」

昔を振り返ってみましょう。

レコードは家でしか聞けず、
カセットテープやCDはウォークマン(この存在を知らない世代もいるかもしれませんね)は
1日に持ち歩けるのは、カセットテープは数個、CDなら3枚程度。
曲をスキップするのも手間がかかります。
今のスマホのように、
少しでも退屈だからとすぐに次の曲へ飛ぶことは、
容易ではありませんでした。

だからこそ、私たちは逃げ場のない「圧倒的な反復」を余儀なくされました。
擦り切れるほど、何度も何度も、同じアルバムを聴くしかない。
しかし、この反復こそが、音楽を細胞レベルで血肉化する魔法のプロセスだったのです。

イントロのブレス、ベースのゴーストノート、
休符の意味、ルバート(テンポを揺らす感覚)……。
微細な「音の色彩感」が、知らず知らずのうちにあなたの中にすり込まれていく。
そうして形成された一生モノの「音楽資産(引き出し)」は、
あなたがジャズや複雑な音楽に出会った時、その深みを理解する強力な武器となりました。

便利だからこそ、選択肢疲れと消費の嵐

現代はどうでしょう。
数千万曲に1秒でアクセスできる究極の利便性。
しかし、この無限の選択肢が、新たな問題を生みました。
あまりに多すぎる選択肢に、「選択疲れ」を起こしてしまうのです。

少しでも退屈だとすぐにスキップ。
音楽が単なる「BGM(消費)」に陥り、
一音一音に込められた意図や、深い表現力を味わう前に、
次の曲、次のノイズへと消費されていく。

さらに、スマホからは常にSNSやニュースの通知も出ます。
交感神経を刺激するこれらのノイズは、
音楽に没頭する「心の余白(副交感神経)」を奪います。
結果として、ジャズの複雑な和音や深い表現力を処理するセンサーが育たない。
恵まれた環境が、逆に私たちの聴く耳を浅く(浅薄化)してしまっているのです。

不便さが「圧倒的な反復と血肉化」を生み、
便利さが「消費とノイズ」を流しつづけることになりました。
音楽の深みを理解するには、
無限の選択肢よりも「制限」と「聴く覚悟(余白)」が必要なのです。

現代の忙しい大人(あるいは音楽を学ぶ人)に必要なのは、
新しい曲を次々と探すことではありません。
スマホを遠ざけ、あえて「数枚の名盤だけを擦り切れるほど聴く」という
制限を自分に課し、音楽と深く対峙する時間を取り戻すことです。

毎日の中で、ほんの少しだけスマホのイヤホンを外し、
あえて不便な環境を意図的に作り出してみませんか?
それはサブスクリプションの音源であっても構いません。
同じ曲を何度もスマホのスピーカーや
可能ならCDやスマホ接続可能な少しだけ音質の良い装置の音で
繰り返し聴いてみませんせんか?

そこから生まれた小さな「聴く覚悟(余白)」は、
あなたをジャズという自由で奥深い世界へ連れて行ってくれます。
不便さという贈り物が、あなたの中に再び、
一生モノの「音楽資産」を育んでくれるはずです。

野口 尚宏

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