「先生」と「生徒」という、見えない階段
大人になってから習い事を始めるとき、
私たちは無意識のうちに、
社会のルールをスタジオに持ち込んでしまいがちです。
「教える側」が上で、「教わる側」が下。
そんな見えない階段を心のなかに作って、
「先生の言う通りに、間違えないようにしなきゃ」
と萎縮してしまった経験はありませんか?
確かに、バンドの中でベースが土台を作り、
ピアノが彩りを添え、ボーカルがメロディを歌うように、
音楽にはそれぞれが担う「役割」があります。
同じように、レッスンという場においては、
私たちには「教える役割」があり、
あなたには「学ぶ役割」があるのは事実です。
でも、それはあくまで機能としての「役割」に過ぎません。
人間として、あるいは音楽に向き合う表現者として、
そこに上も下もないのです。
役割は違っても、座るテーブルは同じ
少し、親しい友人たちと囲むディナーのテーブルを想像してみてください。
ある人はメインの料理を腕によりをかけて作り、
ある人はそれに合う美味しいワインを選んで持ち込み、
またある人は場を和ませる楽しい話題を提供するでしょう。
それぞれが全く違う「役割」を果たしていますが、
テーブルの席に座って乾杯をすれば、
全員が対等な人間として、
同じようにその時間を楽しみますよね。
実は、音楽の世界もこれとまったく同じなのです。
ボーカルも、ピアノも、ドラムも、ベースも。
それぞれの持ち場は違っても、
ひとつの音楽を創り上げる上では完全にフラットな関係です。
誰か一人が偉いわけでも、誰かが脇役なわけでもありません。
音が鳴り響くとき、私たちはただの「共演者」になる
音楽の最も美しく、魔法のようなところ。
それは、ひとたび音が鳴り響けば、社会的な肩書きや年齢、
そして「先生と生徒」という立場さえもが、
スッと溶けてなくなってしまうことです。
ジャズのセッションでは、
どんなに偉大なベテランミュージシャンであっても、
今日初めてステージに立った初心者であっても、
音楽の上では完全に対等です。
お互いの存在と音に敬意を払い、
フラットな人間として耳を傾け合わなければ、
決して心震える音楽(対話)は生まれません。
私たちのレッスンでも同じです。
技術や知識をお伝えする「役割」は私が担いますが、
一緒に音を奏で、声を合わせるその瞬間、
私たちは決して「先生と生徒」ではありません。
ひとつの音楽を共に創り上げる「対等な共演者」になるのです。
サヴァサヴァで、肩書きのない自由な時間を
岸和田にあるMusic Space サヴァサヴァのドアを開けたら、
どうか「初心者だから」「生徒だから」という遠慮やへりくだる気持ちは、
ドアの横にそっと置いてきてください。
あなたは、
あなたの人生の経験が詰まった素晴らしい声や音を持った、
一人の対等な表現者です。
「ここはこう弾きなさい」という一方通行の指導ではなく、
「あなたのその音、素敵ですね。
じゃあ私はこんな風に応えてみましょうか」という、
対等で温かい音楽のキャッチボールを、一緒に楽しんでみませんか?
あなたと対等な立場で、
同じ音楽のテーブルを囲める時間を、
心から楽しみにしています。
野口 尚宏


コメント