音楽と宗教──同じ「心に触れるもの」なのに
私は、お寺の家に生まれました。
宗教とは本来、人の悩みに寄り添い、心を救うためにあるもののはずです。
けれど、現実には「家の維持」や「体裁」「血筋」「名誉」といった我欲が、
その本質を濁らせていく場面を何度も見てきました。
そんな中で、私にとっての救いになったのが音楽でした。
音楽には嘘がない
音楽は嘘をつきません。
どれだけ苦しい日でも、音を出せば心が動きます。
演奏は、その人の心の在り様を映し出します。
ごまかせない、だけど、どこまでも自由で美しい――それが音楽です。
宗教と同じように、人の心を扱うものでありながら、
音楽には「利権」や「血筋」といった外の縛りがありません。
プレイヤーとして生きることに限界を感じた理由
かつてはプレイヤーとして音楽活動をしていましたが、
世間や業界の評価、お金、名声といった
「外側の価値観」に振り回されるのがつらくなり、
自分の本当に伝えたいことを丁寧に届けるには、
教室という形の方が合っていると感じるようになりました。
もちろん、音楽を仕事にすることにも多くの矛盾があります。
でも、音楽そのものには矛盾がありません。
演奏を通じて、真実に出会える時間がある限り、
私はこの道を選び続けたいと思っています。
軽薄な空気の中で、音楽ができること
今の日本社会には、「本音を語らない空気」や
「人を表面的な条件で判断する風潮」が広がっているように感じます。
それでも私は、音楽の力で、少しでも元気になったり、
心が癒されたりする人が増えたらと願っています。
音楽教室は、ただ技術を教える場所ではありません。
心が通い合う、小さな社会です。
私の教室が、そのような場所であり続けられるよう、今日も一人ひとりと向き合っています。
野口 尚宏
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